そうじゃないといわれても

駅前に出かけたら、偶然わたしのことを好きだった人(以下Aさん)(当時わたしも好きな人がいたので振った)とばったり会った。まあ市内だし、駅前だし。会ってもおかしくないし。内心びびりつつも、普通のトーンで話してすぐさよならしたけど気まずかったし、なんでそのばったり会ったときわたしは丁度わたしの好きな人のことをぼんやり考えていたときだったんだ。ややこしい。Aさんに罪はないしすごくお世話になった人だし元々は人として好きだったしこんなわたしを好いてくれた超絶良い人なのに、おもいだしてちょっと嫌な気分になったしそんな自分にもいやになった。

「異性に、恋愛対象としての好意を向けられると途端にその人のことが嫌になったりする」っていう人は結構いるらしい。わたしもそれなんだけどほんとめんどうだな。そうなってしまう相手っていうのは、たいてい、(特に異性なんかには人見知りする社交性の低いわたしが珍しく)人としてすごく好きで私自身だいぶ心開いてよく話してしまう相手(だから好きになってくれたのだと図々しくも思う)だから、そんな良い人をとたんに気持ち悪いとか嫌だとか思っちゃうのってほんとうにひどい・・・失礼だし・・・与えられる恋愛ができねえぞ、、

自分から(恋愛感情として)好きになった人のことは半永久的に好きでいられる。どうしようもないけど好きな人のことはまだ「好きだった人」とは言えないでいる。その好きな人のラインのアイコンが変わっていて、恋人と一緒に写ったかわいい写真がアイコンになっていた。見た瞬間はどうにも思わなかったけどやっぱこういうのはあとからじわじわとダメージがくる。しあわせそうでよかった、わたしじゃなくてよかったのかも、純粋に相手が幸せでいることへの安堵と、かなしさが広がる。

好きな人が「好きだった人」になりつつあるのを察して、同時に、姿を見ればいつでも「好き」のど真ん中にいたころの気持ちになれることを感じた。